2015年4月24日金曜日

サモサ・サービス

ここのグルクラムでヴェーダーンタとサンスクリットのコースを3回も修めた、

カナダ人のチャンドラーさん(写真右)が、半年振りに帰ってきて、

ゆっくりスワミジのレクチャーを聴いたり、テンプルに参加してホーマをしたり、

私のサンスクリットのクラスに出て文法をブラッシュアップしたり、

そして、食べ物をみんなに振舞ったり、

インドでしか、そしてここでしか出来ないことを目いっぱいして愉しんでらっしゃいます。

この笑顔!
右がチャンドラーさん、
左がコースの学生で、サモサ配布の手伝いをしているファルグニーさん。

今日は、午後のお茶の時間に、今回の3年コースの学生と、

アシュラムで働く全ての人の為に、サモサを配られました。
段ボール箱いっぱいのサモサ

アシュラム御用達の運転手、ムルガンさん

今日のスワミジのレクチャーから:

人間は、自由意志が与えられています。

(ヴェーダで言う人間の定義は、自由意志を持たされている生命体)

あなたの自由意志は、自由ですか?

自由意志を使っている時こそ、あなたは完全な人間なのです。


手を差し伸べて、自分の家族でもない人々に、与えるという行為をする時、

あなたは「自由意志」を体験しています。

あなたは自分が人間であることを体験しています。

あなたは、人間が何の為にあるのかを、体験しています。

あなたは、人間に与えられた特別な能力を、全て使っているのです。

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食べたり、寝たり、服を着たり、仕事をしたり、経済活動をしたり、家族を養ったり、、、

やらないといけない事をしている時は、自由意志は100%自由ではありません。

特に、欲望に突き動かされて言動している時、自由意志は全く自由では在りません。

物理的、生理的、心理的なメカニックに沿って、

自分の思考や言葉、行動がメカニックに作用しているだけです。


祈らなくても、家族や知人以外のどうでもいい人達に何もあげなくても、

充分に生きていけます。

そこをわざわざ、時間と労力をかけて、祈ったり与えたりするには、

自由意志が100%自由である必要があります。

そんな自由な自由意志を使って初めて、祈ったり、与えたり出来るのです。

ゆえに、祈っているとき、与えているとき、

私は、本当の意味で自由な、

人間の特権を100%エンジョイしている、

完全な人間なのです。


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