2015年4月25日土曜日

オーシャン・フィーリング「私は宇宙」


長年の間、多くの人とシェアしたいと思いつつ躊躇っていたことを、
今日思い切って文章にしてみると、すらすらと出てきました。


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意識的に「わたしはヴェジタリアンで通す」と決めてから、

毎日生きているのが楽しくなってきた。

地球の住人、すなわち宇宙の住人として、

調和の取れた正しい選択をしたからだと思う。

身体が細胞レベルで常に新陳代謝をしているように、

ミクロのレベルでも、そして宇宙と言う巨大なマクロのレベルでも、

呼吸をするように、全てが常に変化し、循環を続けている。

生物のレベルでは、食物連鎖がそれを良く表している。

知能を持った人間として、正しい選択をした私は、

食物連鎖の中で、

宇宙のジオ・ポジショニングの中で、

すんなりと適切な場所に収まっている。

だから、それが心地よくて、楽しくて、嬉しくて仕方ない。


私が呼吸するたびに、二酸化炭素が宇宙にリリースされる。

そして身体の中に酸素が取り込まれる。

常に、一瞬も休むことなく、

私の身体は、宇宙との循環を続けている。

ということは、私の身体という実体など無い、ということである。


私は、私の身体を持ってして、この世の中で生活をしているけど、

私という存在は、瞬間ごとに変化している、儚い存在だ。

常に変化しているがゆえに、物質的に「これだ」と言えることは出来ない。

私という存在は、単なるコンセプトなのだ。

でも、私は存在している。

今、私がここにいて、意識的な存在として考えているのだから、

それには疑いの余地は無い。

でも、身体で見ると、私は一瞬たりとも定めることの出来ない、とても儚い存在だ。

もし「これが私だ」と定めるとしたら、

それは、宇宙しかない。

宇宙が私なのだ。

身体が儚い存在だからゆえに、

私という存在は、1つの宇宙でしか在り得ない。

私が宇宙なのだ。


食べたり、食べられたり、食物連鎖や生成と破壊といった、

ミクロとマクロの循環をしている、

大きなひとつの塊、宇宙。

それは私でしかあり得ない。

なぜなら、今、ここに、私が居るのだから。

そんな私は、たまたま何かの偶然で、

この小さくて儚い身体の中から、

その事実を楽しむことになっているだけ。

そして私は楽しんでいる。


このようなロジカルな思考に耽っていると、

恍惚とした幸せな気持ちに満たされて、

自分は頭がおかしくなったのではないか?

でもロジカルに考えているだけなのに?!

と思っていた。

後で知ったけど、このような感情を「オーシャン・フィーリング」と呼ぶらしい。


そして、ヴェーダーンタを勉強するようになってから知ったけど、

人が幸せに感じる時というのは、

自分が何も求めていない状態、

自分と対象物の間にある分け隔てを、意識していない状態

ということを知った。

それゆえに人は、好きなものを手に入れたとき、それを経験しているとき、

自然の景色を見ているとき、思考や感覚が麻痺しているとき、

寝ている時、幸せを感じる。


自分の小ささを経験しなくて済む状態、

自分と対立するものが無い状態、

そんな状態にある自分が大好きなのだ。


幸せというのは、自分の本質、つまり何の境界もない、

ただ一つの意識的な存在なのだ。


「私は宇宙」という理解も、自分を小さくしている境界線が取り払われて、

境界の無いひとつの宇宙という存在で自分を認識していたから、

幸せを感じたのだろう。


そんな考えに至り、そんな考えがすんなりと来る心を持てたのも、

始まりは、自分が宇宙と調和する選択をしたことだった。

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